境界例の症状は多彩で、何の問題も見えないような人から、アダルト・チルドレンと言われるような症状や、リストカットを繰り返すケース、幻覚や妄想を伴って分裂病かと思われるようなものまであります。心の不安定さや急激に変化しやすい感情などが特徴です。幼いころの母親との関係が原因であると考えられています。
原因は赤ん坊のころに始まります。赤ん坊は成長するにつれてハイハイをしたり、ヨチヨチ歩きでこの世という未知の世界へ探検に出掛けます。その途中で母親の存在を確かめようとして振り返ることがあります。そのとき見た母親の表情から赤ん坊はいろいろなことを学びます。
健全な母親であれば、赤ん坊が独り立ちを素直に喜べますので赤ん坊に対して励ましの笑顔で応えることが出来ます。
母親によっては離れて行くことに対して、自分が置き去りにされたかのような淋しさを感じる人がいます。赤ん坊が自分の力で移動できないときには母親に依存していますので、母親は必要とされる存在であることに歓びを感じます。
しかし赤ん坊が成長するにつれて自分が必要とされなくなっていくことに気付いたとき寂しい気分になる母親がいるのです。
振り向いたらそこに母親の寂しそうで悲しそうな顔が見えたとき、もしかしたら母親から遠ざかることは悪いことなのだろうかと思うようになります。
親を悲しませた自分は、捨てられてしまうかもしれないという不安にとらわれます。そしてこれが繰り返されると親から自立しようとする衝動を抑えるようになります。本来なら母親から分離して一個の独立した個人になろうとするのですがこういった健全な成長をためらうようになります。
こうして母親のいつまでも依存されていたいというメッセージに応えるかのように、赤ん坊は心の成長を自分で押さえ込んだり後戻りさせてしまうのです。
見捨てられる不安に付きまとわれている赤ん坊は不安をかき立てられることによって母親からの精神的な分離独立という大切な作業に失敗してしまうのです。
このような母親は育児を続ける中で子どもを自分に依存させるために「見捨てる」という脅しを効果的に利用するようになります。
この脅しは分離不安を煽ることになりますので親にしがみつくように誘導するにはもってこいの手段となります。子どもは生きることのすべてを親に依存していますので、たとえば「おまえなんかうちの子じゃない」「橋の下に捨ててしまうぞ」というような言い方は効果的です。親に向かって怒りを表現することはさらに見捨てられる事態を招いてしまいますので、憤りの感情は強く押さえ込まれてしまいます。
過剰な心配は、親が望んでいる通りに自発的な行為を失敗させることに成功してしまいます。そして親は子どもの失敗を一緒になって嘆きながら子どもとの甘美な一体感を味わうことに成功するのです。
自立をあきらめた褒美として甘やかしを与えるのです。あるいは自立しようとしている子どもに親に依存することがいかに楽かを見せびらかして子どもの自立を失敗させようとすることもあります。
見捨てるという脅しが与える影響は自分は、親から見捨てられてしまうような、愛される価値のない人間なんだという、間違った考えを形成してしまうことです。そして、親が自分に対して取った態度を子どもは自分自身に対しても取るようになります。つまり、自分で自分を見捨ててしまうのです。
こういったメカニズムによって親からの精神的な分離が恐怖となり、自分が何者なのか分からないような混沌とした自己イメージを作り上げてゆきます。
そしてこのメカニズムが抱えている様々な問題は、子どもが青年期に達したときに一気に表面化します。思春期の性の目覚め。社会人としての生活。恋愛と結婚。あらゆる面で自立しなければならないのですが長年にわたって親から刷り込まれた歪んだメカニズムから抜け出すことができずに苦しむことになります。
こういうメカニズムが発生するのは、母親自身も境界例であることが多く、自分自身の分離不安が赤ん坊に映し出されてしまうのです。そして自分が親からされたような陰険な手口を自分の子どもに対しても使うのです。
かつて被害者だった体験から、不安でオドオドしたときの心理状態は理解していますので「見捨てる」という脅しの使い方は実にツボを得たものとなるのです。このようにして境界例は世代間を伝達されてゆきます。
自暴自棄型
親が自分を必要としないのなら、望み通りに必要とされない人間になってやるという心理です。何も自分で自分を見捨てる必要はないとも思えるのですが未熟な子どもには無理というもの。
自尊心が非常に低く、親の態度をそのまま自分に当てはめ自分で自分を見捨ててしまいます。まるで紙切れのように自分を軽く扱ったり、自分で自分を無視するという間違った行動をとってしまいます。
ときには自分自身を傷つけるような破壊的な行動に出ることもあります。万引きなどの犯罪行為に走ったり命を危険にさらすような暴走行為をしたり自殺未遂を繰り返したりします。
こういう行為の背後には自分を見捨てようとする親への激しい怒りと絶望が潜んでいます。こういう危険な行為を通して自分は世間から、親から、本当に見捨てられているのだろうかと試しているような面があります。
依存強化型
いわゆるいい子です。分離不安を回避するために、無差別に相手にしがみついたり、依存したりします。またアダルト・チルドレンの世界で言われている「共依存」というのがこれです。このタイプには他人の言いなりになるお人形タイプと、逆に他人の世話をするという形で他人にしがみついてゆく世話焼き女房タイプの二つがあります。
お人形タイプ
一般にはマザコンと呼ばれています。相手の言いなりになっていれば見捨てられる心配がないのですが、社会に出るとそうはいきません。相手の言うことをそのまま真に受けていると、ひどい目に遭うことがあります。このタイプは自分で自分を見捨てて相手の言いなりになることで見捨てられる不安を回避しようとします。
一見自分の主張を持っているように見える人もいますがそれはすべて他人からの借り物で自分の本当の考えというものを持っていません。
親の人生観や価値観をそのまま受け入れて生きているため社会に出てから妙な息苦しさを覚えたりすることがあります。他人からみればまったく問題がないように見えますが、本人は乳幼児期から刷り込まれ続けてきた問題にやっと気付き始めているのです。
世話焼き女房タイプ
困っている人や弱者をどこからか捜し出してきます。そして彼らの面倒を看たり相談にのることで自分の見捨てられ感を解決しようとします。なぜなら問題を抱えて困っている人は助けてくれそうな人を頼ろうとしますので、見捨てられる心配が無いように見えるからです。
こういう人たちの抱えている問題に非常な関心を持つのですが、自分で自分を捨てているため、自分自身のことには無頓着だったりします。自分の利益になるようなことをするのは罪なことだと考えひたすら他人のために尽くします。
他の人にも同じような行動を求めるため、自分勝手な行動をする人を憎みます。「自分」というものがないために、「自分」を持とうとする他人に対しては「見捨てられる」ような不快感を抱きます。
このような人は、アル中のような問題を抱えた人とペアになることがあります。「私が手を差し伸べてやらなければ、この人はダメになってしまう」という思いから回復の手助けをするのですが、相手が回復してしまえば自分が必要とされなくなるという悩ましい問題にぶつかってしまいます。
そこで、境界例特有の乳幼児期の母子関係が再現されることとなるのです。自分が相手にしがみついていたいので、相手にも自分にしがみつくように無意識的に誘導してしまうのです。自立を助ける振りをしながら、逆に自立が失敗する方向へと誘導するのです。
また、二人の間に第三者が入ってくると、パートナーを横取りされるではないかという疑いから排他的になってしまい、二人だけの閉鎖的な関係に執着することもあります。
攻撃型
自分を見捨てようとする親や、自分の不安感をもてあそぶ親への憤りが、場合によっては見捨てられる恐怖を上回ることがあります。いい子の仮面を剥いで突然暴れ出したりします。
それまで、見捨てられる恐怖感に抑圧されていた分だけ怒りは激しいものとなり、自分でもコントロールができないくらい激烈なものになったりします。
家庭内暴力で、子どもがバットを振り回して親を責めたて親に無限の謝罪を要求したりします。しかし子どは何に対して謝罪を要求しているのか自分では本質を理解していません。こうなると家庭は荒れ果てたものになってしまいます。
これほど激しい怒りではなくても、たとえば社会的な不正や不条理に対する怒りといった形で現れたりもします。境界例の人は他人から見捨てられることを常に警戒していますので、他人の心に潜む欺瞞を見抜くことに優れていたりするのですが攻撃的な面が出てきますと相手に対する配慮がなくズケズケとものを言ったりします。
挑発的であることが多く、実に扱い難いことこの上ないような行動に出ることもあります。ちょっとしたことが見捨てられることに結びついて侮辱されたような感じになり、激しい怒りの感情を呼び覚ますからです。
健全な攻撃性というのは自分の利益を守るためになされるものですが、境界例の人の攻撃は、自分で自分を見捨てているために、自分がどんなに不利になろうとも、そういうことにはまったく無頓着だったりします。
恋愛関係などで、自分を見捨てようとする恋人に怒りをぶつけたりしますとストーカーのようになる場合もあります。見捨てられたくなくてまとわりついてゆく一方で、見捨てようとする人への激しい怒りをあらわにしたりするのは、乳幼児期の母子関係がそのまま投影されているからでしょう。
快楽型
見捨てられるときの恐怖感や屈辱感から逃れる、手っ取り早い方法は憂さ晴らしをすることです。酒を飲んだり、オナニーやセックスに耽ったりして気を紛らわせます。見捨てられる感覚をいつも心の底に持っているために、普段からブルーな気分でいることも多く、ささいなことで気が滅入ったり、むしゃくしゃしたりします。しかも、そういう不快感を我慢できません。見捨てられる不安と恐怖が強いために、いつも短絡的に解決を求める傾向があります。
健全な人の快楽と違う点は、自分で自分を見捨てている点です。度を越した飲酒は健康を損ないます。行きずりのセックスを繰り返すと性病の危険が伴います。ギャンブルにのめり込みすぎると財産を失います。
でも、そんな危険性はどうでもいいのです。自分を紙切れのように軽く考えているので、自分の安全を守ったり大切にしたりすることがありません。一見大胆で勇敢な行動のように見えることもありますが、自分に降りかかる危険性が見えていないだけなのです。
そして、彼らは安全圏にいる人たちを馬鹿にします。快楽型の重症な人はやがて身を切るような快楽によってしか、自分の存在が確認できなくなっていきます。孤独のままでいますと、廃人への入り口が扉を開けて待っています。
引きこもり型
もし一人きりになったとしたら、もうこれ以上誰からも見捨てられることはありません。人間関係の中にいて見捨てられたり、裏切られたりする苦痛を味わうよりは、いっそのこと孤独でいたほうがいいと考えます。孤独を恐れないので一見自我がしっかりしているように見えることもありますが、実際は見捨てられる不安と恐怖で脆い構造になっています。人間関係のトラブルに巻き込まれると、孤高だった彼らの人間的な未熟さが露呈してしまいます。
閉じこもっていると不便ではありますが、それよりも苦痛から逃れる方を優先してしまうのです。それだけ苦痛が大きいのです。
人間関係の中で、見捨てられたり裏切られたりする場面に直面しそうになると、そうなる前に自ら身を引いてしまうケースがあります。そうすれば相手から見捨てられるという苦痛に直面せずにすみますが、人間関係を次々に失っていったり、転職を繰り返したりといった不利益が発生します。
しかし、そんな不利益よりも、見捨てられるような状況に我慢ができないのです。そして、すべての関係から身を引いて、新しい理想的な関係を求めます。自分にとって都合の悪いことがあると、そのたびに人生のリセットボタンを押すのですが、年齢を重ねるにつれてやり直しのきかないことが多くなってゆきます。
自己愛型
見捨てられる惨めさを回避するために、惨めな自分とは反対の自分を空想します。みんなから愛され、みんなの注目を集め、たくさんの人から惜しみない賞賛を浴びるという、そんな白昼夢に耽ることは見捨てられた惨めさを解消してくれるだけではなく、栄光に満ちた輝かしい自分という空想に浸る快感を与えてくれます。しかし、この空想が現実との区別がつかなくなっていったとき、さまざまな問題を引き起こします。
理想化型、分裂型
見捨てられる不安のない世界、甘えることのできる世界、自分のすべてをありのままに受け入れてくれる世界を夢見ています。そんな世界はないのですが、現実を正しく認識できないので、肥大した一体感への夢を追い続けることになります。
だれからも愛される人という架空の人物像に憧れたり、理想的な恋人との巡り合わせを願ったりします。現実をありのままに見ることができないため、たとえばたちの悪いヒモに貢ぐ女のように、相手の男を理想的な男に仕立ててしまいます。周囲の人が「利用されて捨てられるだけだよ」と注意しても耳を貸しません。
理想的な関係を求めても、それがずれたものであれば、非常に不安定で崩れやすいものとなります。たとえば、理想の恋人だったはずの人が、ある日突然大嫌いな人に変わったりします。無限に自分を受け入れてくれる人か、あるいは自分を見捨てようとする邪悪な人かどちらかしかなくなります。中間がありません。
愛し合っていたのに、突然恋人を罵ったり罵倒したりします。急に自分の非を詫びて甘い関係を取り戻そうとしたりします。まるでジェットコースターに乗っているように感情が激しく変動するので、恋人は散々振り回されることになります。
理想と、苦痛に満ちた現実との分離が極端にひどくなりますと一時的に精神が分裂したようになります。堪え難い苦痛に満ちた自分を否定し、これは私ではないと自分自身から切り離してしまうのです。
境界例の人は、見捨てられていないのに見捨てられたと感じてしまうことがよくあります。たとえば幸せそうな他人を見たときに、ついつい自分と比較してしまい、自分は不幸な見捨てられた人間なんだと思ってしまいます。ときには羨ましさから、幸せな人の足を引っ張ったりします。
なにかの選考に自分が漏れたような場合にも、まるで自分の存在そのものが見捨てられたように感じることもあります。他にチャンスがある時でも見捨てられたんだという絶望感が支配してしまい、希望を持とうとしなくなってしまいます。
他人からちょっと批判されたりすると、すぐに見捨てられること結びついて絶望したり、あるいは逆に怒り出したり、復讐行動に出たりします。状況を冷静に判断できずに過剰な反応をしてしまいます。
現実への対処能力が低いために失敗をしやすいのですが、その失敗がさらに見捨てられ感を強化します。どうせダメなんだと思い込んで人生のチャンスを自らつぶしてしまいます。
見捨てられる恐怖によって、親からの分離独立が阻害されたままで、自分が何者なのかわかりません。私は誰なのか、どうしてここにいるのかと問い続けますが答えが出ません。
親に見捨てられたからと言っても、自分で自分を見捨てることはないのです。親から言われたからと言って、わざわざ自分の不利になるようなことをする必要はまったくないのです。とは言っても、長年にわたって刷り込まれてきた間違った考え方を修正することは容易ではありません。
精神科医でさえ苦労しているのに、そんなに簡単に解決できるはずがありません。しかし少なくともこのメカニズムを知ることで、人生が良い方向に向かうようになるでしょう。